小学5年生からいじめが始まり、中学生になると金銭の要求や使いっぱしりなどいじめの内容はエスカレートしていき、いじめは中学2年生に上がっても続きました。
家庭では父がいつ怒鳴るか分からなくて緊張しっぱなし。
学校でも加害者の取り巻きがたくさん居るので落ち着かない。
そして休日は金づるとしていじめられていた私は気を休められる居場所が無くなり、どんどん追い詰められていきました。
高校生、大学生、大人ともなれば、いつかは加害者達とも離れられるはず。
だから今は我慢し続けよう。
今我慢すればいつかはきっと…__。
その時、携帯が鳴り私は現実に引き戻されました。
[金が足りなくてさ、3000円貸してくんない?]
私はメールの画面写る文字列を見ながら硬直していました。
居場所を守れば逃げ場を失う。
逃げてしまえば居場所を失う。
父にいじめられていることを伝えれば、加害者本人や両親、学校を徹底的に怒鳴り付けるか、いじめを嫌だと断れないお前が弱いと気紛れに私が怒られるかのどちらか。
母は私を加害者達から切り離すことは出来ずに、私へ金銭面の援助をして少しでも被害を減らすというむしろ加害者に手を貸すような手助けしかしてくれませんでした。
もちろん学校や生徒達は傍観しているだけで誰も手を差し伸べてくれませんでした。
逃げる勇気も、居場所を守る力も何も持っていない自分は我慢するしか道は残されていないのだろうか?
父からの精神的虐待やいじめのせいで閉じ込められていた私の心の小さな叫びでした。
誰も助けてくれないのなら、自分を救えるのはもう自分しかいないなら、頑張って断ってみようと勇気の一歩を踏み出しました。
中学2年生の9月、私は誰にも見つからないよう家の外で断りのメールを一生懸命打ちました。
[ごめん、もうお金は貸せない]
すると、すぐに返信が来ました。
[ふざけんな]
もう後はどうにでもなれ。という覚悟で私は携帯の電源を切り、拒否の姿勢を示し続けました。
加害者達は学年ののリーダー格。
縁を切ろうとすることで、学年全員を敵に回すも同然かもしれない。
そうしたら、いじめが悪化するかもしれない。
とても怖いことだけれども断らなければ自分が壊れてしまうと思い、私はいじめを絶つことを決めました。
悪い人間関係を絶つということはどれだけ大変なことか、どれだけ怖いことか。
面前DVといじめを経験して私は身に沁みる思いでいます。